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2009年6月30日 (火)

夏の水辺

 今日はプロバイダーでなにやら不具合が生じたようです。
トラブル情報、発生日時  06月30日 13:38 サービスが正常にご利用できない状態が発生しております。現在も復旧に向けて対応継続中です。・・・のままです。
 なんとかアップできたので回復したでしょうか。
 梅雨空が戻ってきたようです。二色浜海浜緑地に夏に咲く花、豆科の合歓の木(ネムノキ)がありました。刷毛のようなピンク色の花が咲きます。オジギソウの葉は触ると閉じますが、ネムノキの葉は触っただけでは閉じなくて、夜になるとゆっくりと自分で閉じます。「眠りの木」から「ねむの木」となったようです。沖合を関西空港に向け飛行機が飛んでいました。浜辺には小さな小魚が泳いでいます。8月には二色の夏祭りが楽しみです。 Dsc_0092_2 Dsc_0090_2 Dsc_0076Dsc_0077_2 Dsc_0079 Dsc_0080

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2009年6月28日 (日)

泉州のとある水辺にて

 泉州のとある水辺にて、いよいよ夏です。スイレンの花がいっぱい、蓮も開きだしました。あかみみがめも自然繁殖しているようで、夜店サイズのちっちゃいみどりがめが元気に泳いでいましたが、タッチの差で写真におさまりませんでした。Dsc_0064 Dsc_0071Dsc_0070 Dsc_0101 Dsc_0096 Dsc_0102 Dsc_0105 Dsc_0118 

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2009年6月27日 (土)

南海蛸地蔵駅のステンドグラス

 岸和田市の蛸地蔵はかつて岸和田城に紀州勢の大軍が攻め寄せて、あわや落城の危機のとき、突然海中から大入道(地蔵の化身)が無数の蛸ととも現れ、紀州勢を撃退して城を救ったという伝説から由来しています。南町のだんじり土呂幕にも蛸地蔵縁起が彫られています。洋風の蛸地蔵駅舎には、その蛸地蔵縁起が再現されたステンドグラスが設けられています。 南町の天性寺は阿弥陀如来と蛸地蔵尊を本尊として祀っていますが、秘仏の蛸地蔵は毎年8月23日と24日に行われる地蔵盆の「千日大法会」でご開帳されるそうです。天性寺のかえるまたの龍の彫り物はりっぱです。またその左てに船が奉納されていますが、やはり漁師町だからでしょうね。Dsc_0004_2      Dsc_0009   Dsc_0012

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2009年6月21日 (日)

泉州のあれこれ

 急に蒸し暑くなりました。やっぱり梅雨やったんですね。今回ブログは、タイトルをあえて「泉州のあれこれ」としました。あれこれとはエトセトラであり、全てを包括できるべんりな言葉です。そんな調子の私ですが、このたび、えらい役目をおおせつかり、向こう3年間、これからの各地のだんじり行事に出かけることもままならない状況になるかもしれません。そんな状況でのあがきにも似た今日の写真です。黒鳥公園の蓮の花も咲く頃かと思い行ってきましたが、フライングでした。次の写真は、「我が家のお客様」で紹介したことのあるカルガモ君、今年も来てくれましたが、やっぱり1羽だけでした。最後の写真は今世紀の最大の特ダネ、ネッシー激写。
ではありません。岸和田の海で撮影した海鵜の写真3枚とおまけの癒し系?のクラゲです。Dsc_0136 Dsc_0128 Dsc_0162 Dsc_0164 Dsc_0145 Dsc_0147

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2009年6月20日 (土)

6月の岸和田城

 南北朝時代初め、この地は「岸」と呼ばれ、1334年(建武元年)楠木正成一族の和田高家が、この「岸」に城を築き、「岸の和田殿」と呼ばれ、「岸」の「和田」から「岸和田」の地名の起こったといわれています。江戸時代に岡部公が藩主となり、岸和田藩は五万三千石で明治に至たります。1700年に城内に三の丸稲荷社を建立し、稲荷祭が初めて行なわれ、これが現在も行われている「だんじり祭」の始まりとなっているそうです。1785年 北町が大津から古い地車を借りたが、大きすぎて、大手門が通れない為、杉丸太で柱を造り替え、城内に入ったといわれています。これが現在の岸和田型地車の前身と言われています。また、江戸時代のだんじり祭は6月・8月・9月と年3回行われていたそうです。1827年 天守閣が落雷にて焼失し、1954年昭和29年に鉄筋コンクリートで岸和田城天守閣の再建まで天守閣はなかったそうです。平成の1992年に大改修されています。昔は岸高前(お城の東側)にも橋がかかっていました。今でも石の階段が残っています。そんな岸和田城をぶらぶら見てきました。夏のキョウチクトウは葉っぱが竹、花が桃に似ていると言うことで名付けられたそうです。一般的によく見かけますが、葉っぱ、花、枝、すべてかなりの猛毒があります。青酸カリ以上だそうですのでご注意ください。お堀の亀はパンをやると20匹 ほどが群がってやってきていました。ほとんどが赤耳亀でわずかに石亀がまざっていました。Dsc_0105 Dsc_0087 Dsc_0098 Dsc_0116 Dsc_0113 Dsc_0112   Dsc_0106 Dsc_0103Dsc_0102

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2009年6月15日 (月)

泉南市長慶寺の紫陽花2009

 泉南市にある真言宗泉涌寺派の仏教寺院、長慶寺(ちょうけいじ)の紫陽花、今年も見に行きました。仁王門前の紫陽花が見事で紫陽花寺とも呼ばれています。1577年、織田信長の根来寺攻めで全山焼失。奥之院の観音堂だけとなり、その後、豊臣秀頼によって再興。近世には岸和田藩主岡部氏の菩提寺として栄えたそうですが、明治以降は寺勢が衰退し、観音堂と庫裏(くり)を残すだけとなっていたのを、現住職の尽力により現在の姿に整えられたそうです。3重塔は2004年(平成16年)に落慶された新しい塔です。今年はお寺の鐘突堂もきれいになっていました。Dsc_0033 Dsc_0039 Dsc_0051 Dsc_0045 Dsc_0054 Dsc_0061 Dsc_0064 Dsc_0076 Dsc_0084

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泉佐野市日根野の慈眼院

 泉佐野市日根野にある真言宗御室派慈眼院(じげんいん)に行って来ました。ここには3間2層、全高10メートル余、我が国最小の鎌倉期の国宝の塔があります。石山寺・高野山金剛三昧院のものとともに日本3名塔と言われているそうです。左手には同じく鎌倉期の1271年に再興された平面方3間、屋根・単層本瓦葺の金堂があります。こちらも小堂ながら鎌倉期の端正さが現わされていて、重要文化財となっています。予約すれば入山料100円で拝観することが出来ます。予約がなくても見ることが出来ますが、お寺の方が不在の時は拝観できません。小さい多宝塔と金堂、庭の木々や苔を見ていると心が落ち着き、京都にいるような気がしました。尚、慈眼院は、天武2年(673)天武天皇の勅願寺として、覚豪阿闍梨によって創建された泉州の最古刹だそうですが、1353年、南北朝の戦火や豊臣秀吉の紀州鎮撫の時を経て、金堂、多宝塔を除く一山が消失するなどの歴史があるそうです。Dsc_0001泉州は歴史の町であることを再認識いたしました。 Dsc_0011 Dsc_0012 Dsc_0024 Dsc_0027 Dsc_0007

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2009年6月14日 (日)

岸和田旧市堺町修理入魂式

 岸和田旧市堺町だんじりが修理を終えて工務店から帰町し、入魂式が行われるとのこと。しかし、曳行はなし。でもブレーキテストはするらしいとの情報で朝から行って来ました。塔原線をだんじりがかけ声鳴り物もいさましく駆け抜けて行きました。小屋前の紀州街道でも何度か行ったり来たり。ブレーキの利きを試していました。でも岸和田祭りの日程、彼岸を避けて1週間早くなるのかどうか気になりますね。Dsc04787 Dsc04805_2 Dsc04820 

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2009年6月 8日 (月)

「ゲンジボタルの里」岸和田市相川町

 今日なら人も少ないかなと思い相川町へ行きましたが、すでに多くの人が訪れていました。ここのゲンジボタルは、自然繁殖のものだそうです。しかし、暗い中での蛍の撮影って、したことないし、感度を上げてもシャッターが落ちないし、写らへんやんと困っていたとき、親切な方から、レンズのオートをマニュアルにせなあかんでとアドバイスをいただきました。あとはバルブで適当や、だそうです。なんとか、シャッターが落ちるようになっても、えーもんはやっぱり無理でした。撮影のテクニックをいろいろ研究せなあかんようです。手摺りにカメラをおいての手持ち撮影、(三脚は持参せず)イソ感度1600の上のハイなんとかにしてのバルブ撮影、5から20秒くらいを適当にいろいろ試してみましたが、まともな写真はありません。 相川町ゲンジボタルの里でほたる観賞会が6月12日(金曜日)13日(土曜日)午後7時半~9時半(荒天中止)に開かれます。この日はバスも相川口行き(岸和田駅前発)…午後7時、7時20分、7時40分 、岸和田駅前行き(相川口発)…午後8時半、8時45分、9時と増便されるようです。Dsc_0246Dsc_0243Dsc_0248Dsc_0314Dsc_0281

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2009年6月 6日 (土)

世界(的)遺産 大仙古墳 と大仙公園

 堺市にある百舌鳥古墳群。4世紀末から6世紀後半頃造られたそうです。なかでも大仙山古墳(仁徳陵)は、世界三大墳墓のひとつです。日本書紀によると、古墳工事のさなかに鹿が乱入してきて突然倒れ、その鹿の耳から百舌鳥が飛び出したとかでこの地を百舌鳥耳原というようになったとか。正式には百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)というようです。大きいことから大仙陵ともいわれています。堺は古来から海外の文化との接触点、中世は自由都市として栄え、まさに黄金の日々でした。古墳南向いの大仙公園には、そんな堺の歴史を表してつくられた築山林泉回遊式の日本庭園があります。対岸に中国を表し、桃源台に発した水流が諸処に景勝を織り交ぜながら大海にそそぐ様子を表現しているそうです。写真は仁徳天皇陵と大仙公園内の平和の塔と日本庭園などです。最後の庭の写真、大海(池)の対岸が表現された中国ということです。Dsc_0217_2 Dsc_0212_2 Dsc_0209_2 Dsc_0235_2 Dsc_0200_2 Dsc_0172_3 Dsc_0190 Dsc_0197

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2009年大鳥大社の菖蒲祭り

 和泉国一の宮である大鳥大社、2009年菖蒲祭りが始まりました。去年のブログに「その昔から、季節の花を農耕の指標にしてきた日本人。今も花の開花で季節を感じるような人でありたい。」と書いていました。昔の人は、花菖蒲の開花で田植えを始めていたそうです。かなり以前のことですが、個人の田んぼ全面に花菖蒲を毎年見事に咲かせたいた方がいました。花後には、一定の株を毎年順番に株分けし更新されていたのを思い出しました。当たり前のように毎年みごとな花を咲かせるには、大変な努力が必要だと思います。我が家の花菖蒲はその方から分けて頂いたものですが、残念ながら残っているのはわずかになっています。最後の写真はその我が家の花菖蒲です。 Dsc_0120 Dsc_0147 Dsc_0133 Dsc_0149Dsc_0144

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