2008.08.31第6代北町地車新調入魂式
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小倉 優子、別名ももか姫、愛称ゆうこりん、コリン星からやってきた、千葉県茂原市出身 24歳のタレント。言葉の語尾に「○○りんこ」、「○○りんこだプー」。今年のオールスターでは、さんまのからくりテレビから結成した「小倉優子音楽隊」で夢の球宴での演奏を行いました。26号線沿いの泉大津東豊中に「焼き肉小倉優子」を発見しました。マクドの近くで、道の向いには
別の焼き肉屋があります。かなり挑戦的な店舗の展開といえるのではないでしょうか。あちこちで焼き肉店を展開しているようですが、こんなところにもあるのですから、いったい何店舗展開しているのでしょう。話のネタに一回いこかって思うかもしれませんね。
後日調べてみると今年4月に第一号店オープン、関西地区に11店舗あるそうです。東京進出も視野に入れているとか。また、同じ事務所の藤崎奈々子は京都でラーメン店を出したそうです。
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牛滝山は金剛生駒紀泉国定公園に位置し、牛滝川の清流と滝、しらかしの自然林がおりなす自然豊かなところです。紅葉と寺の建物との調和が美しく、「府の名勝」としても指定されています。大威徳寺の山間を牛滝山といいますが、牛滝山という山は存在しないそうです。夏には牛滝の清流は涼を求め、キャンプやいよやかの温泉でにぎわいます。
写真1枚目、牛滝温泉「いよやかの郷」。
大威徳寺は、役行者が開創(飛鳥時代)したとされる天台宗の古刹で古くから葛城修験道の一霊場でもあったそうです。遊歩道を歩くと3つの滝があらわれ、そのうち「三の滝」は、かつて比叡山の学僧・恵亮が修行をし、この滝から大威徳明王が牛に乗って現れたと伝えられています。恵亮が明王の像を彫り本尊として安置したのが寺名の由来とされています。後に弘法大師もこの地で修行し、多宝塔などを建立し、境内にある朱色が鮮やかな多宝塔は、国の重要文化財となっています。
写真 2枚目
、
大威徳寺多宝塔。3枚目、下から一の滝、二の滝、三の滝、木々のあいだに二の滝、三の滝が見えてるのですが、この写真ではわかりにくいです。4枚目、一の滝の正面から。5枚目、錦流の吊り橋。もう少し歩くと四つめの錦流の滝がありますが、カメラのバッテリー切れで写真なしとなりました。
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滝と緑の景観から大阪府の「みどりの百選」に選ばれている「雨降りの滝」は、意賀美(おがみ)神社神殿前を流れる津田川の上手にあります。 泉州は、昔から雨が少なかったようで光明池や久米田池をはじめ、その他多数の溜池が各地に造られています。意賀美神社は、雨神様のお社で、同じ名前の神社が泉佐野にもあります。 また、泉州には、雷様が落ちてきたという民話もあるし、死後雷神になったとされる菅原道真公を祭った「天神さん」とよばれる「菅原神社」もたくさんあります。これも水不足の問題を抱えていた泉州ならではのことなのでしょうか。農業に水がなかったら話になりません。ふと水に感謝
する岸和田八木
地区の行基参りを思い出しました。
写真2枚目、意賀美神社鳥居。3枚目、意賀美神社拝殿。3・4・5枚目
、雨降りの滝。
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岸和田古城跡を幾度か探しに行きましたが、昔見たはずの場所がわかりませんでした。古城跡は、南北朝時代に、楠木正成の一族、和田高家が築いた古城跡と伝えられ、「岸の和田」岸和田の地名の由来とされています。岸和田城は後に現在地に移されたとも言われていますが、確かなことはわかっていません。付近には「城下池」「古城」「土居ノ下」など、この付近に城があったことを示す地名が残されているそうです。
1枚目写真は付近の南海バス停「上古城」。古城跡が見つからなかった理由は、開発のためでした。すでにとり壊されていて、
立ち入り禁止の柵がめぐらされていました。大きな松の木の切り株が無惨に放置され、荒れ地となっている現状に唖然とさせられました。大正10年に大阪府が設置した和田氏居城伝説地の石碑も見えませんでした。こんな小さな場所くらい、公園にしたらえーのにとぶつぶ思いながら、紀州街道に向かいました。こちらは昔の面影を残されています。
写真は町並みの様子と本町だんじり小屋横にある一里塚跡と一里塚弁財天。写真5枚目は、本町郵便局に展示されているだんじり破風です。局内での撮影は防犯上のため出来ないようです。破風だけならと許可をいただき撮影してきました。
入母屋タイプです。 最後は、祭りを控えた岸和田らしい様子、紙屋町献灯台と北町新調横断幕です。入魂式は宮本町と同じような時間かな。
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泉州の風景さんにも紹介されていましたが、龍女神像は、高村光雲とならび近代彫刻史上に名を留める竹内久一氏(たけのうちひさかず)の作だそうです。明治36年(1903年)第5回内国勧業博覧会のとき東洋一を誇った大浜水族館前に設置され、平和と繁栄のシンボルとして、「乙姫さん」の愛称で親しまれてきたそうです。その後、臨海工業地帯造成で大浜海岸がなくなり、客足が遠のき廃館となった水族館の解体とともに昭和49年に撤去されてしまったそうです。幼かった頃の記憶に大浜水族館は少し残っていますが、残念ながら乙姫さんの記憶が全くありません。平成12年(2000年)7月、堺旧港周辺が世界民族芸能祭「ワッショイ!2000年」の会場となった時に、市制110周年記念事業として、北波止突堤(堺市堺区北波止町)に復元されたものだそうです。夜はライトアップされているようです。気になる像の頭上にあるものはどうやら竜の落とし子のようです。
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堺市にある百舌鳥古墳群。4世紀末から6世紀後半頃造られたそうです。なかでも大仙山古墳(仁徳陵)は、世界最大のお墓で、これらは、1500年あまりの時を経て、今も残っている世界的遺産といえます。堺市は百舌鳥古墳群の世界文化遺産登録をめざした取り組みを進めているそうです。世界三大墳墓のピラミッドや秦の始皇帝陵はどちらもすでに世界遺産です。
地図をながめていて、同じ大阪の古市古墳群と違い、百舌鳥古墳群には古墳の向きに2種類あることに気がつきました。田出井山古墳(反正陵)、大仙山古墳(仁徳陵)、ミサンザイ古墳(履中陵)が南向きの前方後円墳。いたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳が西向きの前方後円墳。調べてみると、南向きのグループは、海岸線に横向きに並んで横から見せることでより大きく見せ、当時外国から来た人を驚かせるためだという説があるそうです。西向きのグループの理由はよくわかりませんでした。太陽の沈む方向とか、黄泉の国とか関係あんのかな。でも、なんで鍵穴みたいな形なんやろ。
写真は、
西向きのグループ、墳丘の長さが290mのニサンザイ古墳です。写真は前方後円墳の前方部です。また、周囲は公園になっていました。写真がちょん切れていますが、埴輪をかたどったものがいくつかありました。

てるてる坊主のような石は、おそらく前方後円墳の形だと思います。
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